【対談 vol.02】自らの内と外とを往還する人文知・社会知へ向けて(中野民夫 × 堂目卓生)

学術知共創プロジェクトマネージャー・堂目卓生(大阪大学社会ソリューションイニシアティブ長・大学院経済学研究科教授)と、人文学・社会科学の研究者を中心とした人びととの対話から、人文学・社会科学が社会に果たすべき役割、共創の場を創るヒントを模索します。

◆今回の対談者の紹介

「人文学・社会科学を軸とする学術知共創プロジェクト」は、様々な分野の研究者、さらには社会の様々なステークホルダーの「共創の場」を創るプロジェクトです。その中でそもそも「共創の場」とはどのようなものか、何のための「共創の場」なのか、どうすれば本当の意味で「共創の場」になるのか等を探求します。今回は、企業と大学の両方に身を置いた経験を持ち、長年、「ワークショップ」や「ファシリテーション」の在り方を探求し、実践してこられた中野先生に、「場」の創り方を中心にお話をうかがいました。

中野民夫 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授 東工大未来社会デザイン機構(DLab)メンバー

1957年、東京生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。1982年博報堂入社。1989年に休職し、カリフォルニア統合学研究所(CIIS)で組織開発・変革、平和や環境に関するワークショップについて学ぶ。以後、会社勤めの傍ら、人と人・自然・自分自身をつなぎ直すワークショップやファシリテーション講座を実践。2012年から同志社大学教授を経て2015年より現職。著書に『ワークショップ 新しい学びと創造の場』(岩波新書)、『学び合う場のつくり方-本当の学びへのファシリテーション』(岩波書店)など。57歳から歌が生まれシンガーソングライターとしても活動。2018年「自分の至福についていこう」でCDデビュー。

自由でバラバラな大学という世界

堂目 中野先生は、企業人から大学教員・研究者へと転身され、いわば、学術界とそれ以外の社会を行き来した経験をお持ちです。企業と大学・学術界との違いや関係をどのように捉えておられるでしょうか。

中野 企業から大学に移るとき「上司も部下もない世界だよ」と言われました。企業組織はやはりピラミッド型で、今時は下の意を汲みながらですが、一定の命令系統に従って動いています。それに比べると大学は平場の社会。特に授業に関しては、シラバスをつくってチェックを受けて始めれば誰からも管理・命令されたりしない、その自由さはいいなと思いました。ただ、個人商店の集まりのようで、連携が取りにくいとも言えます。先生方は専門が違うと遠慮もあるしお互いを尊重してか、他人の仕事には介入しません。自由でバラバラな、組織化されていない感じがすごくしました。お互いに「先生」「先生」と呼び合うことも、僕は最初、変に思えてしまって()。企業だと一般的に肩書を外した「さん」付けが主流なので、なかなか慣れなかったんです。

堂目 まだ他にも、驚かれたことがあったのではないですか()

中野 会議のあり方とかでしょうか。大学での多くの会議は、事前に担当者が入念に準備し、会議自体は早く終わらせよう、余計なことは言うな、という感じですよね。そもそも権限や知識を持った「長」が会議を仕切ると、ざっくばらんな話し合いはできなくなるものです。権限のある人と会議を回す人とを分けて平らな話し合いをするために、ファシリテーションが生まれたという側面もあるぐらいで。僕は広告会社にいたので、みんなで集まってアイデアを出し合い一緒につくりあげていくということをよくやっていたから、余計、違いを感じたのかもしれません。大学の会議は、自由闊達に話し合って新しいものを創り出す創造の場ではなく、了承を得る場なのだとじきに理解しました。

もう一つは、先生方が締め切りを守らないことです。実はそれは、企業にいるときにも大学の先生方と研究会をやっていたことがあって、そこで経験済みだったのですけれどね。それぞれの原稿を次の打ち合わせに持ち寄る約束をしても、その当日に平気で「これからやります」と言うような感じでした()。大学は職員さんたちが、締切日から動く先生方の習癖を知っていて早め早めに動いてくださるから回っているところがあるのだと思います ()

堂目 なるほど。「先生」と呼び合い一見水平的で自由な世界でもあるが、会議になると仕切られるのに任せている。このバラバラな感じは、全体で何か良いものを生み出していこうというときには弱点になる可能性がありますね。

中野 組織という面からみると、もう一つ、職員の方々が遠慮をするのがすごくもったいない気がします。知識や経験の蓄積がある人たちなのに、あまり意見を言わず教員の一歩後ろに下がっているのをよく見ます。何か新しい組織をつくったり新しいイベントを一緒にやったりするときは、対等な立場で意見を言い合ったほうがいいものが生まれるのではないかと思います。

孤立せず、集い合い、問い合うことが力

堂目 中野先生は、ワークショップやファシリテーションなど参加型の場づくりを専門に研究しておられます。著作『ワークショップ 新しい学びと創造の場』に、ワークショップの意義は、人と人との関係を豊かにし、人と自然との関係を取り戻し、人と社会の関係も健全にすることだと書かれているのを拝見し、感銘を受けました。中野先生にとってワークショップとはどういうものなのか、経験も含めてお聞かせ願えますか。

中野 ワークショップという言葉は、もともと共同作業場、工房という意味を持ち、一緒に何かをつくる場だと思います。僕自身が最初にワークショップと関わったのは振り返ると高校の時です。倫理社会の面白い先生がいて自主ゼミみたいなものを土曜の午後にやっていて、明治時代以降の日本の思想家について発表して話し合うという内容でした。僕は北村透谷を担当しましたが、その時に互いに学び合う場の楽しさに出会いました。

大学に入ってからは、ぎゅうぎゅう詰めの大教室の講義が多くてがっかりしていたところに、見田宗介先生の比較社会学ゼミと出合いました。特に合宿がユニークで、ワークショップのような形で即興劇をしたりヨガをしたり、身体や心が揺さぶられるような体験型の学びを経験しました。そういうことを一緒にやると、仲間との話し合いも生き方など深いレベルの交流になるんです。

大学卒業後は、浮世の最前線で新しい価値を提案したいと、決して似合っているところではありませんでしたが、あえて広告会社に入社しました。7年勤めて相当にくたびれ、ミイラ取りがミイラになったりして()、いろいろあった後、休職してアメリカのCIIS(カリフォルニア統合学研究所)に留学しました。大学院なのに、輪になって床に座り、誰が先生かもわからないみたいな中で話し合うスタイル。基本的な授業のかなりの部分が参加型で、常に誰かが話し合いの内容をチャートパッドという大きな紙に書き出し、見える化しながら話し合います。年齢も様々でしたが、対等に学び合っているという感じでした。

決定的な影響を受けたのは、ジョアンナ・メイシー先生との出会いです。留学中、湾岸戦争が起こり、その直前には「本当に戦争になるのでは」と危機感が高まっていました。ジョアンナはある日、授業の予定を返上し、「これは大変なことになる。私はすごく心配している」と語り、一人ずつに ”How do you feel? (どう感じていますか)” と聞いたのです。みんなから心配、怒り、悲しみ、嘆きなどいろいろな思いが出てきて、教室は気持ちのシェアリングの場へと変わりました。その後僕は、この状況を日本人と共有できればと考え、知り合いの縁で30人ぐらいが集まることになりました。そこで、ジョアンナに学んだ、考えよりも気持ちを聞く形の進行をすると、場がとても深まるのを感じました。それをきっかけに「バークレーKAI」というグループが生まれ、密度の濃い活動をすることになったのです。

その活動の一環で、ジョアンナにもインタビューに行きました。愚直な質問だと思いながら「この戦争を止めるために何ができるでしょうか」と聞くと、先生は「その質問こそが出発点です。孤立しないで、集い合い、問い合うことが力です。すぐに答えは出なくても、必ず次の何かにつながります」と返してくれました。確かにそうですよね。日本人は、戦争などあまりに大きな問題になると「どうせ一人では何もできない」と問うことすらしないことが多いけれど、「何もできないなんてことはない」と思えました。実際にバークレーKAIの活動を通して、いろいろなことが始まり展開していくのを目の当たりにしたので、「集い合い、問い合うことが力」という言葉が本当だと実感できたのです。ただ、集い合い、問い合うことを力にするためには、それなりのやり方、人の集い方があるのではないかとも考え、そこからワークショップやファシリテーションというような参加型の場づくりに関心を持つようになりました。

堂目 学術知共創プロジェクトは、人文学・社会科学の研究者が、社会課題に向き合っている人々にどういうふうに接したらよいか、という問題意識に基づいて始まりました。ジョアンナ・メイシーさんも人文学・社会科学の研究者ですが、知識伝達型でなく、社会課題を繊細に捉えどう解決したらよいのかを感じ取りながら、学生や仲間など周囲の人に問いかけていったのですね。ここに何か糸口があるように思います。先生は、ティク・ナット・ハンという方からも大きな影響を受けられたのですね。

中野 ティク・ナット・ハンはベトナム出身の仏教者で、ベトナム戦争時に、修行と市民の支援の両方をやろうと決意し、行動する仏教というスタンスでやってきた人です。アメリカに渡って北爆停止を訴えて回りノーベル平和賞候補にも推されましたが、ベトナムに戻れなくなりフランスに亡命。ベトナム難民支援や、心理学や西洋の家族が持つ問題など多くのことを学んで欧米の現代人に通じる法話を始め、1980年代には欧米でも有名になっていました。バークレーKAIの読書会で彼の本を読んでいましたが、彼は、外に向かって怒りをぶつけることを繰り返していてどうして平和が来るだろうかと語り、自分が平和であることと社会が平和であることのつながりを見事に説いていました。僕は湾岸戦争の直後、カリフォルニアでティク・ナット・ハンが行ったマインドフル・リトリートに参加し、心理学なども応用したわかりやすい法話や身体と心の自然に沿った新しい形の瞑想法を通して、今ここに立ち戻るということや、自分自身のありのままに丁寧に気づくマインドフルネスの大切さを学びました。

堂目 内と外とはつながっているのですね。社会課題の解決といえば外的世界を何とかすることであり、そのために知をどう使うのかを考えがちですが、実は同じ問題が自分の内側にもあり、自分の心をどう平和な状態にしていくのかを考えなければならない。それを言葉にしたのが、人文学や社会科学と言えます。外を変えるための手法の話だけではなく、根源に立ち戻ったときに、一体どんな言葉が、自分の中から出てくるかが問われる。

中野 内と外はどっちが先というのではなく、相互につながり影響しあっています。自分の中で完璧に平和を築いてから外に関わろうというのも無理だし、自分を放っておいて外の平和から何とかしようというのも無理。考えながら行動し、行動しながら考えるという、行ったり来たりだと思います。その意味では、日本の人文知・社会知は、かつて象牙の塔と言われたように、社会との往還が少し弱い感じがします。

主体的に考える人を育てる仕組みへのアップデート

堂目 先生の社会課題への関心は、やはり平和や教育でしょうか。

中野 平和で持続可能な社会のあり方に関心を向けてきました。ジョアンナ・メイシーやティク・ナット・ハンから学んだのは、その取り組みや学び方において、個人の成長や心理的な面と、社会正義や社会課題を分けずに両方を大事にし、両者を行ったり来たりしながら捉えていることが新鮮でした。日本では、社会運動や市民運動をやる人と自分自身の心を大事にして瞑想などをするスピリチュアル系の人との間に対立や隔たりがありましたから、この先生方の中では精神世界と社会変革が統合されているのが魅力でした。

堂目 広告代理店に勤めておられた頃には、2005年の万博「愛・地球博」で持続可能性をテーマに地球市民村をプロデュースされたのですね。

中野 地球市民村は、NGOを主役にした環境に負荷をかけないパビリオンにしたいという主催者の博覧会協会の意向を受けて企画したものです。コンセプトは「Learning for sustainability (持続可能性の学び)」。2002年、ヨハネスブルクで「World Summit on Sustainable Development(WSSD)」が開催され世界はすでにその方向に動き始めていましたが、サスティナビリティはまだまだなじみのない言葉でした。国境なき医師団など医療系、環境系、開発系、先住民文化、障害者など様々な領域で活動するNGOが参加するので、それらをまとめるコンセプトとして、アプローチはいろいろ違ってもその目的は同じ持続可能な社会をつくることですよねと提起することにしたのです。

その頃と比べると現代は、我も我もとSDGsを謳う企業が出てきて、SDGsウォッシュさえ危惧されるなど、まさに隔世の感があります。ともあれ、少なくとも企業が、地球が有限なことに目を向けその中で折り合いを付けないといけないと考え始めたことはとてもいいことで、蒔いた種がようやく広がってきたのかなと感じています。

堂目 2015年には東京工業大学へ来られて、リベラルアーツ研究教育院やリーダーシップ教育院で教えられています。『ファシリテーションで大学が変わる―アクティブ・ラーニングに命を吹き込むには』(共編著)の中では様々な参加型教育のやり方を示唆されていますが、先生から見て、大学教育の現場には何が欠けていると思われますか。

中野 大教室での知識伝達型の教育スタイルは、大量生産・大量消費の時代までは効率的な形だったかもしれません。しかし、現代は、先行きの見えない未来に向けて、もっと主体的に考え行動できる人間が必要とされる時代であり、アクティブ・ラーニングもそのようなニーズから生まれています。注意したいのは、アクティブ・ラーニングとは、あくまでも学び手がアクティブになることをめざしていること。教師の側が、アクティブ・ラーニングが起こりやすい場をいかに整えられるかが重要です。ファシリテーションのような、一歩引いて相手が生き生きと動き出すのに必要な場づくりや問いかけが注目されるのはそのためです。

このような働きかけをするにはかなりの準備が必要です。グループディスカッションをやるのに、席も動かないような教室で「じゃあ、そこの45人で今のことについて適当に話して」と言われても、いきなり知らない人と活発な議論にはなりません。期待通りに盛り上がらなくて「グループディスカッションには大した教育効果はない」とやめてしまうようなことも起こっていますが、そんな乱暴な場づくりでは成果は出ません。小グループをつくるならちゃんと向き合って話せる場づくりをし、誰から話すかという順番や、話すテーマやお題を明確に提示するなど丁寧にやれば、これだけもっと人と話したいと思っている人が多い時代なのだから、うまくいかないはずはありません。そういう場づくりや仕組みの部分からもっともっと学生視点でアップデートしていくことが必要でしょう。

堂目 研究者が社会とどう関わるかということについては、どのようにお考えでしょうか。

中野 大学の研究者の多くは、30代半ばぐらいまでちゃんとした肩書も収入もない中で地道に勉強し知を蓄積していくのは本当にすごいと思います。ただ、ある分野では非常に詳しくても、人々の生活や暮らし、社会全般を考えるうえではどうなのでしょうか。専門分野での論文がゴールになってしまうと、一般の人との距離は遠くなります。専門分野の内容を、いかにわかりやすく伝えられるかということも大事ではないかと思います。

前任校の同志社大学では、ソーシャル・イノベーション・コースという実践と行き来しながら研究を行う新しい試みが行なわれています。社会のいろいろな分野でやってきて、もう一度大学に戻って修士論文を書きながら知識や経験を整理し、先人の知恵も学びながらその先に行こうという実践中心の人が多いです。人生百年時代に、社会と大学を行き来する実践的な研究者を育てることは貴重だと思います。

相手の真価を認める深い理解が必要

堂目 今のお話は、まさに、学術知共創プロジェクトが生まれるもとになった問題意識とマッチしています。私は、学術、特に人文学・社会科学が社会と乖離していってしまっていて、研究成果が社会の諸課題の解決に結びついていないところに根本的な問題があると思っています。研究者は、業績・研究費・ポジションを考えながら研究成果をあげなくてはならないという現実もあります。学術と社会の乖離を反転させ、一致の動きを起こすために、学術界と社会の両方からの参加によって「共創ネットワーク」をつくり、ワークショップのような場づくり、チーム構築、発信を循環させていきたいと考えました。

昨年度、ワークショップやシンポジウムを進めてきましたが、いくつか課題が見つかりました。一つは、学術における共創とは何かを明確にしていくことです。現段階では、共創によってそれまで考えていなかった論点が明確になり、それが組み合わされたり深掘りされたりすることによって、より具体的な研究シーズ、解決への手がかりが醸成されていくことを期待しているのですが、現実にはそう簡単に研究シーズは生まれません。二つめは、共創の場を創るうえで、「場づくり」にウエイトを置くか、資金獲得を含む「研究チーム構築」にウエイトを置くかというバランスの問題です。「場づくり」にウエイト置きすぎると単なる楽しい意見交換に終わり、他方、チーム構築を重視しすぎると議論が狭くなってしまいます。三つめの課題は、社会に理解してもらえる発信についてです。学術知が持つ言葉の「深み」を失うことなく社会に分かりやすく伝えるにはどうしたらいいのか。それだけでなく、社会から寄せられる様々な意見、社会と接することによって得られた経験を学術の言葉に戻して、学術の発展に寄与させることも重要な課題です。こうした課題を前にして、「場づくり」において気をつけなくてはならない点はどこにあるでしょうか。

中野 一人ではできないことを実現するような共創・協働には、お互いの違いをまずよく認め、そしてその多様な違いを生かし合うことが必要です。違いを認めようと思えば、興味を持って互いの違いや背景を理解し合い、相手の真価を認めるところまでいかないと。傾聴や対話がすごく大事になってくると思います。

生かし合うというところで言えば、一緒に何ができるかワイワイ話せれば楽しいですよね。東京工業大学では、新入生の「立志プロジェクト」という必修授業から4人組で対話する場をたくさんつくっています。博士後期課程でも、専門性の違う4人、その中に必ず留学生を加えたグループで、社会課題に対して何ができるかを一緒に探ります。そのような違いを認めて生かし合うということが起こる場をつくるには、多少強制的にでも多様性が出会う場を設けて地ならしをすることが必要ではないでしょうか。そこでいい出会いができ、人と人との間で起こる共鳴の中で熱量が上がる。そこから出てきた専門的な関心に沿ってプロジェクト化していく、というような方法もいいのではないでしょうか。

もう一点、社会にどう理解してもらうかという問題。東京工業大学の未来社会デザイン機構(DLab)では、社会の人々と対話しながら科学技術の未来を考えていこうという様々なプロジェクトを行っています。そこでは、専門家だけでなく社会の人々や学生の率直なフィードバックを受けるような機会を大切にしています。社会や学生とやりとりする場があれば、自分たちの中では当たり前の言葉が通じないことを痛感し専門用語をわかりやすく伝えようとするし、触発されるものもあると思います。D Labのキックオフ・ワークショップでは、一般の人にも来てもらって先端的な研究をしている研究者に10分プレゼンテーションをしてもらいました。その時、一般の人にも理解できる話の内容なのか確認したくて、事前にリハーサルをしてもらったんです。先生たちはプロだからプレゼンはうまいのですが、専門分野で当たり前のことは説明なしにすっ飛ばしてしまうんですね。それを指摘して修正してもらったら、本番では「難しい話をわかりやすく聞けた」と参加者から好評でした。あえて、一般の人の目線でチェックするみたいなことも大切かもしれません。

また、大学院の「人間力を育む」という授業では、「自分の研究を専門外の人にわかりやすく説明する」プレゼンの場を創っています。専門用語を控えて語る難しさと、他の多様な研究の魅力を聴く楽しさで、とても盛り上がります。就活や親への説明にも使える、と好評です。

堂目 今日は、いろいろと刺激を受けるお話をありがとうございました。最後に、何か一言メッセージをいただけますか。

中野 ジョーゼフ・キャンベルという神話学者は、著書『神話の力』の中で、特に若い人たちに向けて、「Follow your bliss. (自分の至福を追求しなさい)」と語っています。僕は「気になることについていこうよ」と意訳して伝えています。世の中をよくしようというとき、制度や指導者を変えればいいと思いがちですが、実際はそれではなかなかよくなりません。それよりも、一人ひとりが自分のいのちの在り処を見つけてしっかりとそれを探求することで生き生きし、周りにもいい影響を与えるという連鎖・響き合いを通して世の中が真っ当になっていくという考え方があります。Bliss、至福とは、身体や心・魂の声であって頭の声ではありません。といっても、端的な欲望の充足といったものではなく、自分を磨いて健やかな状態になったときに内側からたぎるような願いのことです。世界で活躍する研究者やスポーツ選手などを見ても、自分の本当に好きなこと、やりたいことなら長続きし、努力が苦痛ではなくなるでしょう。それを発見しながら追求していくことがその人の人生を拓くし、周りにも必ずいい影響を与えると思っています。

堂目 そう信じるためには、自分自身もそうなっていないといけないのでしょうね。中野先生を見ていると、それを体現されているなと感じます。

中野 過去にいろいろな先生に出会えましたが、どんなところに影響を受けたのかというと、言っていることよりも、好きなことや気になることを探求し続ける姿勢や、佇まいというか存在感そのものに感銘を受けてきたのだと思います。

堂目 確かにそうですね。生き生きと生き、良い意味で熱狂している人が「一緒にやろう」と言えば、人は集まってきてくれるのだと思います。

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