学術知共創プロジェクトマネージャー・堂目卓生(大阪大学社会ソリューションイニシアティブ長・大学院経済学研究科教授)と、人文学・社会科学の研究者を中心とした人びととの対話から、人文学・社会科学が社会に果たすべき役割、共創の場を創るヒントを模索します。
◆今回の対談テーマ
「 様々な主体との出会いが呼び起こす『学』と『観』の再融合 」
◆今回の対談者の紹介
社会課題に向き合い、解決策を提示するための学術知は、客観的なデータや理論に基づいた知(「学」)でなくてはなりません。しかし、客観的、普遍的に見える知の根底には、自然観、人間観、歴史観、死生観など、提案者の「観」があります。社会に開かれた学術知であるためには、「学」の成果を提供するだけでなく、社会の人びとと「観」を共有すること、あるいは社会とともに新たな「観」を創っていくことが必要です。今回は、医療、福祉、環境、まちづくりなど、様々な公共政策の研究と実践を通じて「定常型社会」の提案に至った広井先生に、自然、人間、いのち、歴史などに対する「観」との関係も含めてお話を伺いました。
広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授
1961年岡山市生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院修士課程修了後、厚生省(現 厚生労働省)勤務、千葉大学法政経学部教授をへて2016年より現職。この間2001-02年MIT(マサチューセッツ工科大学)客員研究員。専攻は公共政策及び科学哲学。『日本の社会保障』(岩波新書)でエコノミスト賞、『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で大仏次郎論壇賞受賞。他に『定常型社会』『ポスト資本主義』(以上岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』『無と意識の人類史』(以上東洋経済新報社)など著書多数。
有限性を受け入れながら無限の価値を創造する
堂目 広井先生は、公共政策と科学哲学がご専門です。これまでの足跡を振り返りながら関心の在り処やその変遷をお話しいただければと思います。
広井 誰にでも、出発点となった問題意識や関心があると思うのですが、私の場合は、中学に入学してすぐに感じた違和感がそれにあたります。成績の順位や偏差値が示されるようになり、こんなふうに上昇したり成長したりする先に一体何があるのか、果たしてそれが幸せなのか、というような素朴な疑問を持ちました。大学受験期になると、そのような意識はさらに先鋭化し、自分が生きているということはどういうことか、自分が世界を認識しているというのはどういうことか、価値判断の最終的な根拠になる基準とは何か、といった哲学の領域に近いことを考えるようになりました。大学では当初法律を専攻しましたが、哲学的な問いへの関心が消えず、3年になるときに科学史・科学哲学専攻へ移ることにしました。認識の問題は物理や生命科学、宇宙などとも関わりが深い問題であり、文系だけでは完結しないと考えて科学史・科学哲学に進んだのです。
大学3年の終わりから4年になる頃に、このような問題に対して時間論という枠組みで自分なりの答えを与えることができました。今から思えば非常に拙い形ではありましたが、原理的な問題は一旦解決できたので、今度は、社会での実践としてセツルメントに取り組みました。セツルメントとは貧困家庭に対するケースワークや教育支援などの取り組みで、当時、学生のボランティア活動としてわりとポピュラーなものでした。修士課程を修了して進路を決める時には、セツルメントの経験から個別のケースに対応していても本当の解決につながらないと感じたこともあり、マクロな政策や制度をつくる厚生省(現 厚生労働省)に入りました。役所の仕事のかたわら著作や論文を執筆し、二足のわらじを履いているような時期を10年ほど過ごした後、お誘いをいただいて千葉大学に着任し、大学に身を置くようになりました。
堂目 今年、『無と意識の人類史』という本を出版されました。どのような本なのか、執筆の意図を教えていただけますか。
広井 私の関心には、「社会」と「人間」という大きな2つの柱がありました。このうち社会に関しては、限りなく成長拡大を求めるような社会がいろんな意味ですでに限界に達しているのではないかという問題意識を持ち、2001年に出した『定常型社会―新しい豊かさの構想』という本の中で、GDPの拡大を求め続けなくても持続可能な福祉を実現し十分な豊かさを持ちうる社会のあり方として「定常型社会」という一つの答えを出しました。一方、人間のほうは死生観のようなところに行き着き、これも2001年に『死生観を問いなおす』という本を出したことが一つの節目になりました。それから20年を経て、社会も人間も、人類の歴史や宇宙・生命の歴史の中で今自らがいる位置を捉えて論じるべきではないかと考えるようになったのです。
そのキーワードが有限性です。今、有限性は、二重の意味で注目されています。その一つは、地球環境の有限性。社会が限りない拡大・成長をめざすことは、地球環境の有限性と対立します。経済活動が地球環境の限界を超えて大きくなりすぎたことで、人間と生態系のバランスが崩れはじめました。気候変動もそうだし、新型コロナウイルス感染症もそうです。新型コロナの問題は、一見、環境問題とは別のテーマのように見えますが、最近の研究では、森林の減少によってウイルスを運ぶ動物の密度が上がり、人と動物に共通の感染症が生じやすくなっていることが一因ではないかとも言われています。
もう一つは、人間の生の有限性です。カーツワイルのシンギュラリティ論では、意識も含めた脳の情報のすべてをコンピュータやインターネット上にアップロードすることで、意識を永続化させることができるというようなことが言われています。また、『ライフスパン』という本がベストセラーになりましたが、この本の中では老化は病気であり治癒できる、つまり身体を永続化できる、と述べられています。これらは、個人の生の有限性を突破し無限に拡大しようとする、現代版不老不死の夢と言っていいでしょう。
堂目 本来有限であるものを無限に使おうとしても、どうしても限界があるだろうし、かえって状況を悪くしてしまうかもしれない。そんな悪あがきとも言える行動を、どうして人間はしてしまうのでしょうか。
広井 生命は自己複製や自己増殖という原理をもともと持っており、無限に拡大していこうとする傾向があらかじめ組み込まれているとも言えるので、一概に否定はできないのかもしれませんね。しかし、その一方で、有限な資源を巡って紛争が多発したり分断が生じたりしていることは大きな問題です。ですから、物質的な意味では有限性を受け入れながら、その中で無限の創造、無限の価値を生み出していくという、難しいことではありますが、そのような方向を見出していく必要があります。
環境・福祉・経済が並び立つ持続可能な福祉社会
堂目 研究と並行して、医療・福祉・環境・まちづくりなど、多様な分野の政策にも関わっておられます。それぞれのつながりや、関心のある分野についてお聞かせください。
広井 医療と福祉は、人が人をケアする領域です。ケアは1対1のモデルで考えるのが基本ですが、最終的には1対1の関係から独立しコミュニティの中で生活していけるようになることが重要です。その意味で、医療と福祉はそれだけで完結せずコミュニティの問題にもつながっていくのです。コミュニティの問題は、人と人とのつながりというようなソフト面と、それがうまく機能するようなハード面との両面を考えていく必要があります。たとえば、道路で完全に分断されてしまっているような都市では人と人とのつながりやコミュニティ感覚というようなものはどんどん薄らいでいきますよね。交通システムや都市政策などのまちづくりは、コミュニティを考えるうえで欠かせないのです。政策テーマが多岐にわたっているように見えますが、実は一つながりなんですね。
また、環境分野に関わっているのは、以前から福祉と環境の総合化みたいなことを考えてきたからです。これまで福祉国家は、限りない経済成長とセットで考えられてきましたが、その考え方は環境の有限性と矛盾します。環境と調和したサスティナビリティと、個人の生活の保障や富の分配を可能にするウェルフェアとが両立する社会はどうしたら可能になるかという問いから、「持続可能な福祉社会」という考えが生まれました。
堂目 自然が有限である限り、コミュニティやケア、福祉に関わるところも有限性を土台にしないとどこかで破綻が起こるということでしょうか。
広井 おっしゃる通りです。市場経済や個人の利益はあくまで表層に過ぎず、その土台にコミュニティがあり、さらにその土台に自然があります。一番上に乗っていた個人や市場経済が大きくなりすぎて土台から離れていってしまったのを、もう一度、コミュニティや自然につなぎ直すことで、環境のサスティナビリティ、富の分配の公正に関わる福祉、さらには経済を一体的に考え、持続可能な福祉社会を実現していこうというのが、私が提案する「定常型社会」の基本的な考え方です。
環境と福祉と経済というとSDGsとも重なっており、これら3つを並び立てることのできる社会を実現することは不可能ではありません。現実にヨーロッパでは、国によって課題もあるものの、全体としては環境サスティナブルを重視し、福祉社会でもあり、ジニ係数を見ても相対的に平等が保たれています。
堂目 日本はどうでしょう?
広井 残念ながら、所得格差が大きく、環境のパフォーマンスがよくない、アメリカと似た傾向です。しかし、最近、SDGsへの関心が広がってそれに向けた動きも顕著になっており、潮目が変わりつつあるのが感じられます。持続可能な福祉社会は夢物語ではないのです。
「定常型社会」を実現する鎮守の森のコミュニティ
堂目 日本型の新しい定常型社会を具体化する提案として、「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」を進めておられますね。
広井 10年来、ささやかに進めています(笑)。日本には神社と寺が、それぞれ8万ずつあります。コンビニエンスストアが6万ほどあるそうですが、それを圧倒的に凌駕する数。明治時代のはじめには神社がもっと多くて、20万ぐらいあったらしいです。神社や寺は、宗教施設というよりは鎮守の森、森羅万象に八百万の神様の存在を認める自然観と一体になったローカルなコミュニティの拠点です。お祭りが行われ、寺子屋のような教育の場であり、市が開かれて経済の拠点でもある。そのような古来からの役割を、自然エネルギーの分散的整備というサスティナブル社会実現のための現代的課題と結びつけ、再評価しようと考えたのが「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」というプロジェクトです。自然からエネルギーを搾り取るのでなく、自然の力を借りて人間も一緒に生きていくという自然エネルギーの発想は、鎮守の森の考え方とも親和性が高いと考えました。
2021年5月には、埼玉県秩父市の秩父神社を中心とするコミュニティに、100世帯ぐらいの電力を賄える小水力発電所が稼働しました。地元の人と私たちのグループが、一緒にお金を出し合い銀行からお金を借りて実現したものです。全国のいくつかの場所で、このような神社・寺と自然エネルギーを結び付けた事業を展開しています。また、このプロジェクトでは、自然エネルギーのほかにも、自然の中でヨガや気功などをする鎮守の森セラピーや祭りを通した地域活性化などを柱に様々な取り組みを進めています。
堂目 地域、そして鎮守の森への関心は、どのようなところから生まれたのでしょうか。
広井 日本が人口減少社会になって課題が山積しているのも事実ですが、一方で、プラスの可能性も秘めていると思うんです。人口増の時代は、良くも悪くもすべてが東京に向かって流れ、地域から人々が離れていきました。それが、人口減少社会になったことで若い世代の中に集中に向かうのとは逆のベクトルが動き始め、ローカルなものや地域ごとの多様性に関心が向いています。そういう時代の構造変化の中で、地域というテーマが浮かび上がってきていました。私もそのような流れに関心を抱き、京都大学の「日立京大ラボ」という文理融合プロジェクトの中で、「2050年に日本社会は持続可能か」をテーマにAIを使って2万通りのシミュレーションを行いました。人口や地域の持続可能性、格差や健康、幸福のどれをとってもパフォーマンスが高いという結果が出たのは、都市集中型ではなく地方分散型のほうでした。
鎮守の森については、もう一つ別の文脈として、自然のスピリチュアリティという発想にたどり着いたことがきっかけになりました。自然の中には、有と無を超えた何かが含まれている。現代の物理や科学においても、単なる機械としての自然でなく、ある種の内発的な力を持っているという自然観が広がっています。その意味で自然の中に八百万の神様がいるという鎮守の森は、まさに自然が内発的な力を持っているということにつながると考えたのです。
批判から提言へ。人文・社会科学に求められること
堂目 これまで専門知、学術知を社会課題の解決に生かしてこられた広井先生と、学術と社会とが協働して社会課題に取り組むうえでの問題を考えていきたいと思います。学術があって課題があるだけで、課題を解決しようというムーブメントが生まれるわけではなく、むしろ歴史観や自然観というような「観」を共有することが大事なのではないでしょうか。しかし、「観」は曖昧で不安定で、偏っていて危険なところもあります。これに対して、「学」はある程度確立しており、誰もが共有できる普遍性がある。社会課題に人々とともに取り組んでいくために、観と学はどのような関係であるべきでしょうか。
広井 それは非常に重要な論点だと思います。私は、もともと科学史・科学哲学が専門なので、学つまり、科学とはそもそも一体何かという問題意識を持ってきました。17世紀にヨーロッパで科学革命が起きて、科学が成立しました。当時の科学は、学と観が融合していました。言い方を換えると、世界をどう捉えるか、私たちがどのような場所にいるのか、どこに向かうのかというコスモロジーと科学は一体のものでした。それが、19世紀辺りから学問分野が分かれていき、20世紀後半には国家政策の中に組み込まれてより細分化される中で、コスモロジーと科学はどんどん分離していきました。しかし、今、学と観がいま一度、融合する方向に動き出しているのを感じます。
たとえば、デイビッド・クリスチャンという歴史学者が、2000年代頃から唱えている「ビッグヒストリー」という考え方があります。138億年の宇宙の歴史から地球の生成、生命の誕生、人間の歴史を一貫した視座の中で捉え返して、私たちは今どのような場所に立っていてどのような方向に向かうのかをいろんな角度から議論しようというものですが、これは、一定の客観性を持った科学に世界観を組み込んだものだと言えます。
堂目 客観的・普遍的な学に基づいて新しい自然観や歴史観が生まれ、自然観・歴史観から既存の学を見直し、新たな学を生み出すという循環的な関係ですね。ただ、そこには危険性もあって、学から健全な観が生まれてくるとは限らないということを、私たちは歴史の中で経験してきました。
広井 学にしても、必ずしも、普遍中立的だったわけではないですしね。人間と自然との関係を捉えるのに、人間が自然をコントロールできるといったキリスト教的な世界観が影響を与えてきましたし、個と全体の捉え方においては要素還元主義などは観と言っていいでしょう。それらを問い直し、近代の科学・知・学のあり方を相対化するという視点も非常に重要になってくると思います。
堂目 社会課題を解決しようというソーシャルムーブメントを起こすには、社会自体を変えるのに合わせて知の方も変わっていくというナレッジムーブメントも必要だと思っています。これを具体的にどう進めていくのか、何かアドバイスやご意見をお聞かせください。
広井 堂目先生のおっしゃることに大いに共感します。具体的な進め方についてですが、一つは、すでにこのプロジェクトでやっておられることですが、企業やNPOなどいろいろな主体や人たちと連携していくことが重要でしょう。先ほどお話した日立京大ラボも、京都大学のキャンパス内に日立製作所の技術者が常駐するラボを設置して様々な学問分野との連携を行うという取り組みです。私が関わっているAIを使った日本の未来シミュレーションの共同研究では、2017年に最初のバージョンを出した後、様々な自治体と連携し未来予測を政策提言につなげています。これは、私にとっても非常にエキサイティングな経験になっています。
それから、政策提言もその一つですが、ビジョンの提示や提案というところまで持っていくことも非常に重要ではないでしょうか。これまでの人文学・社会科学は、どちらかというと批判に重きが置かれ、「ではどうすればいいのか」ということについては必ずしも積極的ではありませんでした。
堂目 学術的な研究をビジョンの提案につなげるということは、そこには当然「観」も提示されます。それを、様々な主体と出会いながらオープンにしていくことが大事だということですね。
広井 もう一つ、これは別のレベルの話になると思いますが、研究業績をもう少し中長期に評価するような視点が必要だと思います。目先のことを言われると、それぞれの学問分野で差し当たって成果や業績になることが求められ、どうしてもディシプリンごとに細分化する動きにつながってしまいます。とくに若手研究者に対しては、中長期の研究が可能になるような予算配分を含めた研究環境の整備が重要です。
それは学問の世界のことだけでなく、社会全体としても考えていかなければならない視点でしょう。もともとサスティナブルという概念は、国連のブルントラント委員会のレポートの中で使われたのが出発点です。その時にこの言葉が意味していたのは「将来の世代が、今の世代と同じような権利と豊かさを享受できる」ことでした。その意味では、政府の借金が1200兆円にものぼり、高齢化や社会保障にかかる年間120兆円超の負担の一部を現役世代が賄わず将来世代に背負わせている今の日本に、非常に危機感を感じます。私は「人生前半の社会保障」という言い方をしているのですが、若い世代や将来世代に十分お金が回るような仕組みをつくっていくことが、これからの日本社会を考えるうえでかなり重要な柱になってくると思います。