共感・共創・共生から分断社会に向き合う
社会の様々な課題に向き合う「人文学・社会科学を軸とした学術知共創プロジェクト」では、その最初のステップとして分野、世代、セクターを越えた多様な参加者を集めたワークショップを展開しています。その先駆けとなる第1回ワークショップ「分断社会の超克―共感・共創・共生」が、2021年1月24日にオンラインで開催されました。
冒頭、テーマ代表者の大阪大学大学院人間科学研究科・稲場圭信教授から語られたのは、格差が進み、つながりを失い、災害などの大きなリスクがもたらす分断によって、公的・私的いずれの問題に対しても他者とシェアできない状況が生まれていることへの危機感です。稲場教授自身が宗教の社会貢献やソーシャルキャピタルを研究し、行政や地域社会、宗教界と連携して問題解決にあたってきた経験を示しながら、多様な領域の研究者が集い、社会の様々な実践者と協働していく意義に言及。そのような協働から生まれるイノベーションを、「多様性に駆動されるイノベーション(Diversity-Driven Innovation : DDI)と位置付けて、今までにない人文学・社会科学の知と現場知との融合により、社会課題を解決していきたいという意欲を語りました。具体的な活動として、分断の心理を克服するための「共感」、科学と文化の「共創」、社会的・文化的分断を乗り越えた「共生」という3つの柱を立て、課題解決に向けたチームビルディングを図ることが示されました。
続いて行われた「フラッシュトーク」では、全国の大学やNPO、企業から参加したワークショップメンバー41名が、1名1分の持ち時間でこれまでの研究と今回のワークショップへの期待について発言。関心のポイントが端的に示されることで、問題意識やアプローチの違いを確認しながら、誰とどんなテーマで協働したら面白そうかというイメージを広げることができ、協働への意欲を高めるステップになったようです。
共感と分断のメカニズムや相互関係を探る
ワークショップのメインとなるグループディスカッションは、「共感」2グループ、「共創」1グループ、「共生」2グループの5つのグループに分かれて実施。各グループの代表者からそれぞれのテーマについての問題意識が語られ、材料がさらに豊かに展開されたうえでのディスカッションスタートとなりました。
「共感」第1グループの代表者は、共感と分断との関係として自分とは異なる他者に共感を持てないこと、あるいは過度に共感することが分断を深めていること、このようなバランスの悪い共感の背景に格差が顕在化している日本社会の現況があることを示唆。共感は今の社会を読み解く意味でも面白い概念であり、そのメカニズムを読み解くことへの期待が語られました。
参加者は、それぞれの研究分野から共感と分断をどのようにとらえるのかを議論。分断のメカニズムについては、人生・世界の意味・価値が脅かされることで分断を生み出す心理状態がつくりだされる、社会状況がもたらした「自分が幸福ではない」感覚が分断の深化に関わっているといった見方のほか、人とのネットワークなしに生きていくことができない地方では分断が生まれにくいといった意見も。共感と分断との関係については、対立軸ではなく共にあるものとして考えていくこと、合理的な共感と惻隠の情のような共感では、どの共感が分断とどう関わるのかを検証することといった方向性が示されました。分断の超克については、分断の現実を直視しマネージすること、支援に必要な寛容さなどに着目。また、まちづくりにおいて理念や方向性を市民と一緒に議論することで共感を得られたという体験も語られました。最後に誰とどのようなことができるか、共同研究の可能性にも言及しました。
「共感」第2グループでは、代表者が、趣味や感性を陶冶することによる変容やアート思考・デザイン思考から共感の可能性を示し、人間の生と関わるような感性が人間的なつながりを生み出すきっかけとなるといった話題提供を行いました。そのうえで、第1グループと同様、それぞれの立場からの共感と分断の認識をベースに議論が進みました。
困っている人への支援活動を行う実践の立場からは、困っている状況を多くの人が知らない、共感すると面倒くさいといった意識が支援の現場にもある、共感はあってもそれをすぐに行動につなげる仕組みがないなど、共感についての問題点の指摘が。また、共感や分断のメカニズムについて、人間の利他性は集団の内部に向かい外部への排他性と表裏一体であるという考えや、貧困家庭のデータなど共通課題として取り扱うための客観データの不足が分断の根底にあるといった見方も示されました。分断の超克につながるものとして、人間は分断社会をつくるものだということを前提にした社会システムの構築の必要性、場の共有による共感や共鳴、儀礼などを通して何かを投げかけられたと感じることが行動の原動力になる、などの視点も提供されました。
多様な分断への理解から共創の姿を導く
「共創」グループでは、代表者から、社会や文化の間には元来、様々な分断があり、そののりしろの部分として、社会的、文化的なつながる仕組みが機能してきたという認識、分断というより様々なレベルでの個別化・孤立化が進んでいるという問題意識が提示されました。それを踏まえて、研究の経験などから分断や差異のイメージを出し合うと、政治、教育、福祉、SNS上のコミュニケーションといった様々な領域において、また地域間や支援者同士など様々な形での分断が進んでいることが明らかに。そうした状況の打開や共創につながるヒントとして、分野ごとに違う文化や言語を翻訳したり調整したりできる人材の重要性、多様なステークホルダーが対立しながらも協力できているときの規範とは何かといった視点が示されました。
多くの参加者に共通の問題意識となっていたのが、専門家と市民との分断です。市民は自分自身の職業や生活についての専門家であり、単にデータ収集の対象としてではなく問題の当事者として主体的に関わってもらうことでその知識・経験を生かす必要があるという認識を共有。専門家と市民とを架橋するための工夫として、オープンサイエンスによって市民が主体的に専門知に関わった事例も紹介されました。研究者同士の分断にも言及され、共通の目標に向けた協働が、研究分野間の流儀や文化の違いを理解することにつながるといった提案がなされました。また、音楽や文学など文化的な取り組みが対立や分断に果たす役割など、今後の検討課題も話題にのぼりました。
数式化や連携事例をベースに共生を議論
「共生」第1グループでは、代表者から、共生の理論化をめざした数式「A+B→A’+B’+α」(集団Aと集団Bが出会うことで、A・Bそれぞれが変わり、新しい価値αが生まれる)が提案され、この数式を一つのベースにしながら、それぞれの問題意識を確認し合いました。
支援によって変化はしても、さらに分断線が引かれ直し共生にたどり着けない、AにもBにも最初から入らないマイノリティや、動物、薬など人間以外の存在との共生があるといった指摘のほか、同じ対象であっても場や集団によって存在意義が変化する場合があるという考えも。価値についての議論も深まり、共通の価値を生み出せない場合も多いこと、助け合いの基盤となるつながりを生み出す研究の重要性、自分たちの価値が守られる安心感が共生の前提になっているなど多様な考えが示されました。また、SNSのテキスト分析から、異なる意見との共生を志向する人が少ない現状や、データそのものの偏りを問題視する声も。さらに、AとBの間にできた、助ける、助けられる、というような役割は固定されたものなのか、「+」はどのような性質をあらわすのかといった、議論をさらに展開させるような示唆もありました。
「共生」第2グループでは議論の指針として、第1グループと同じ共生の数式とともに、具体的な共生モデルとして代表者が携わったまちづくりに関わる産官学連携のプロジェクトを提示。分断社会の中で何かをつなぐという実践的な研究の必要性と、新しい学術知を生み出すための協働についての方法論を探るという方向性が示されました。
共生の数式については、加害者と被害者のような関係の場合に、被害者が変わることは難しい、人類学のサファリング・コミュニティ(苦悩の共同体)が参考になるのではないかという意見が出されました。また、協働のチームづくりについて、意図的なプロジェクトよりボランティアなどを行ううちに研究テーマが出てくるというように、学生の自由な発想を生かすことが研究を進めるうえでも大切といった議論もありました。
人文学・社会科学系らしい連携についても活発に意見交換がなされました。人文系の特徴を生かした共創は解決策を即座に提示するのとは別の形ではないかという投げかけに、官民や自然科学系と連携して資金獲得をめざすなら、5~10年先に社会に役立つという展望を示す必要があるといった意見も。また、企業には社会貢献などを中心に人文系との連携ニーズはあるがマッチングや広報が不足しているといった問題点や、情報をつなぐ場としての共創の可能性も挙げられました。
きっかけとしての共感、方法論としての共創、結果としての共生と連なったテーマだけに、各グループの議論にも重なり合う部分がありました。その一方で、視点や論点の違いや議論の運びはまさに多様。数十分のディスカッションを通して、研究課題のタネや議論の糸口が数多く生まれました。時間が足りず発言機会が一巡だけに終わったグループもあり、これからの議論の深化が期待されます。
活発な議論が展開された若手研究者セミナー
休憩をはさんだ後、40代以下だけが参加する若手研究者セミナーを実施。「共感」「共創」「共生」の各グループに分かれ、ワークショップの振り返り、社会構築への参画、既存の学問体系に足りないものは何かというテーマで議論しました。
「共感」のグループでは、人々が漠然と感じていることをいかに言語化し、主体的に関わる場をつくれるかに着目。さらに、異なる分野同士が結びついてもシナジーが生まれていない協働もあるという指摘から、共同作業をスムーズに運ぶにはどうすべきかについての議論が進みました。連携のスタンスとして、社会課題の解決が目的であり連携は手段であるという共通認識の重要性を確認。それぞれの関心がどこにあるのかを示し、研究の進め方における共通のテンプレートや、問題が起きている現場で一緒に共通言語をつくっていく必要性が検討されました。さらに、今ある問題や分断をあえて問題提起することで議論を活性化させることや時間をかけて解決していくシステムの必要性、若手研究者が異分野との連携に取り組むには評価するシステムやプラットフォームが十分ではないという問題点も指摘されました。
「共創」のグループでまず話題にのぼったのは、分断を新たな学術知にするには文理融合が必須なのに、両者をつなぐ共通の言語がないこと。抽象化してメカニズムを解明していくのか、個別事例に対して問題解決にあたるのかという方法論の違いや、すぐ使えるのかそうではないのかというスパンの違いなども指摘されました。また、「共感」のグループと同じく評価される仕組みがないこと、たとえば権威ある総合学術誌『ネイチャー』のようなアカデミアから独立した評価の場がないなどの問題点も浮上。市民との対話によって新たな学問分野をつくっていく場合に、専門家と当事者との間をつなぐ合意形成の専門家の必要性や、市民と研究者が一緒に課題設定から行う意義など、前半のディスカッションを下敷きにした議論も展開されました。分断の超克に関しては、科学や学問には分断を超えるような共通言語をつくり出す働きがあること、「面白い」という学問に対する熱・熱狂は文理融合研究のモチベーションになることなどが議題に。分断を残し互いに交わるところに新しいものが生まれるため、ほどよく対話ができる状況の設計の大切さにも言及されました。
「共生」のグループでは、たとえば、医療現場における日本語が読めない外国人など、共生の対象としてすら認識されていない存在との共生をどう保障するのか、支援する側とされる側は関係性をつくれていないことも多く共生しているとは言いがたいケースもある、といった問題意識が共有されました。日本では共生が、「支援する」という一方的な関係をつくりあげる形で実践されていることが多いが、本来の共生は互いに何かするという意味ではないのかという指摘もありました。社会構築への参画については、研究者としてではない関わりの意義を議論。また、人文・社会科学系のアップデートについては、研究倫理の構築をはじめ、他グループと同じく評価システムの不足も論点となり、現場でうまくいっていることが業績として評価される指標がないことなど研究と現場との分断を指摘する声がありました。さらに文理協働については、はじめにプロトコルを共有するという方法論や、人文・社会科学系には科学と社会をつなぐストーリーやナラティブが求められていることなどが論点になりました。
若手研究セミナーは時間的にも余裕があったためか、非常に活発な議論が展開されました。特に、社会での実践に参加する方法論や既存の学問に不足するものについては具体的な議論が深まり、今後の取り組みに生きる論点も数多く提示され、ここから生まれる新たな学びの可能性が垣間見えるキックオフになりました。
ワークショップの概要は、以下よりご覧ください。
第1回 学術知共創プロジェクトワークショップ ~分断社会の超克~
テーマ代表者:稲場圭信 大阪大学大学院人間科学研究科教授